「ひとりごと」に対する感想をお寄せください。

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鈴木敏文氏の言葉


日々仕事をする上で、忘れがちであるが、忘れてはならないことを述べておられます。
皆さんの参考になればと、転載させていただきます。

仕事は毎日が瀬戸際である<鈴木敏文が語る仕事・1>
昨日の続きで仕事をするな

過去の成功体験が
なぜ邪魔になるのか

 日本の世の中が大きく変わって来ているのに対して、多くの人々は従来やっている仕事をそのまま、ほんの少しずつだけ変えて対応しようとしている。よくいえば改善ですが、そんなことでは時代の変化に追いつかないという事実になかなか気づかない。改革が必要な時代に微調整をしても意味はないですから、やがて自分たちの職場を失うような事態にまでなる。

 たとえば小売業で言うとスーパーもデパートも売り上げ不振が続いています。何が問題なのかは、本当は痛いほど分かっているのに、直視し自ら解決しようともせず、「世の中が悪い」「政治が悪い」「景気が回復したら」と言って何か変わりますか。

 他に責任を転嫁して、あなたが何か救われるのかと言えば、何も変わりません。怖いことですが、人間は経験から学ぶ存在であり、またそれにしがみつく習性を持つ存在です。そこにあるのは「まあ、こんなものだろう」という妥協。以前はこの方法でうまくいったなどと考えていると誤ります。

 私はグルメではありませんが、たとえばセブン‐イレブンのお弁当はほとんど毎日試食する。おいしいかまずいかだけは、だれにも負けずに判断できます。先日は大阪でオリジナルの焼き立てパンを食べてみてこの味は何だと注意して変えさせた。比較すればすぐ気づくのに、外見に変化がないと「こんなものだ」と安易に妥協してしまう。

 ファッションでも同じです。50代、60代女性の服を若い商品バイヤーが仕入れると、昔の老人くさい商品ばかりになる。目を開いて現実を見れば、中高年女性も20代、30代と変わらないデザインを求めています。体形は違っても、時代のファッション感覚には差がない。過去の体験に引きづられている人は目が曇っていくのです。

朝目覚めるたびに
今日の感性を研げ

 仕事への取り組みは謙虚であるべきだし、本気であるべきだと思いますね。前回うまくいった喜びの余韻は心地よいけれど翌日には顔を洗った気持ちで、新たな1日を始めなくてはならないと思う。会社に出ると同じ顔ぶれだし、不満ながらも給料も賞与も出る。のどかな昼休みなどもあって毎日同じだなどと惰性が染みつくと、あなたの仕事人生そのものがくすんでいきます。今日は何が変わったか、新しい発見はあるか、それをどう生かせるか。ほんの小さな事でも時代に向き合う気持ちが支えです。毎日が瀬戸際だと自分を追い込んで行くしかない。

 私はこうして今日も経営者として出社している。社員にも社外の方にもさまざまな話をし、みなさんも耳を貸してくれますが、もし現在の職を失い、転職の市場に放りこまれたら、はたして私を雇う企業はあるだろうか。ないでしょうね。

 なんの技術も資格もないし、売り場で数字を稼ぐセンスもない。経営のノウハウをいくらか実践しているとはいえ、それも限られた業態の中である。逆に私が人事担当でも、社長経験者は雇いませんね。だから私も昨日の経験は引きずるものかと自分を厳しく戒める。朝家を出るときには、五感を使って時代を見よう、今日1日が真剣勝負と思っていますよ。(談)

すずき・としふみ ●1932年長野県生まれ。56年中央大学経済学部卒業後、東京出版販売(株)(現〈株〉トーハン)入社。63年(株)イトーヨーカ堂入社、78年(株)セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長就任。91年ザ・サウスランド・コーポレーション(現セブンイレブン・インク)取締役副会長(現職)。92年イトーヨーカ堂代表取締役社長、セブン-イレブン・ジャパン代表取締役会長(現職)。2003年イトーヨーカ堂代表取締役会長(現職)、同年勲一等瑞宝章ほかの受賞がある。

 仕事は毎日が瀬戸際である<鈴木敏文が語る仕事・2>
あなたのズレを見極めよ

意志を持たないと
変化は見えない

 情報をどのようにとらえていくか。社会の変動は何を基準につかむか。その対策として、あなたは本や雑誌などからたくさんの情報を得ていると思うかもしれません。もちろんそれは大切ではあるが、だれもが持ち得る共通の情報です。しかも人の目を通して集められてきた素材の一つです。だからそれだけをものさしにして自分の仕事を判断してはいけない。

 よく、本を読みながら線を引いている人がいます。思わず、ためになる、自分も納得できると感じるからだと思いますが、実はそこに発見は少ない。自分が共鳴する所をただ確認しなぞっているだけではないのか。著者の考えに同調するなら、すでにあなたの考えはそこに行きついてしまっているわけで、これは安心するために読んでいるのだと冷静に判断するべきです。

 あなたの仕事をとりまく環境の変化は自分自身で把握するべきだし、自分にしか見えないものです。たとえば売り上げ目標を達成できなかったという時、そこには必ず理由があり現状把握のズレがあったはずです。その要因はどこにも書いてありませんし、だれからもアドバイスなど期待できません。品質、品ぞろえ、価格、加えて対象となるお客さまの好みの変化など何かを読み違えた。本や雑誌に書いてある今の経済環境とか時代の流れを活字で読んでみても、目の前にある商品の売り方の答えなど書いてありません。素直に「ズレていた」と認め、自分自身で間違いを発見し修正するしかない。

 私はこうして取材を受けたあと、記者が書いた文章を読んで驚くことがよくあります。私の言ったとおリの内容ではなく、自分の発言と違う内容に書き直されていたりする。問いただしてみると上司が朱を入れてしまったという。ナマで仕入れてきた部下の情報を自分の考えに沿うよう修正してしまう、その自分の感覚のズレに気づかないのです。業績が上がらない原因を探す時、最も疑ってかかるべきは自分自身です。

素直に考える

 仕事の現場にいる人は、決してサボったり遊んだりしているわけではない。人それぞれに一生懸命で必死にやっていることはよく分かっています。それでもうまく行かないという時、考え方を一度すべて白紙に戻して欲しいと思います。昨年の実績とか、業界のデータなどはいりません。今すぐに自分の目の前にある状況を洗いだし、原点に立ち返って考えることです。

 私たちの競争相手は競合他社ではないし、他業種でもない。それはただ一つ、時代の変化です。その中でめまぐるしく変わるお客さまのニーズにどう対応していくか。自分の目で変化をどう見極められるか。それに尽きると思います。難しいのは、お客さま自身も自分が何を欲しがっていたのか、提示されてみないと気づかないということですね。目の前に形となって現れてはじめて、ああこういうものやサービスがいいなと喜んでくださる。

 そのためには相手の立場になるしかありません。何もかも飽和状態のように見えるかもしれませんが、それは違う。時代が動くということは、その動いた分だけ新しいニーズが生じているということ。あなたが頑(かたくな)に自分の価値観にしがみついてその場から動かずにいるなら、その分のズレが起きているのです。(談)


   


   

「母の日」に「共育」を考える


(徒然1 「共育」) 
 5月の第2日曜日、親と子、教育(この言葉大嫌い、共育のほうがいい)についての雑感を徒然に。
 「学び、能力を養い 未来に生きていく」主体は子供である、教育という言葉には、教える側に主体があるようで好きにない、学ぶ主体である子供が学ぶ意識・意欲を持たない限り、子供は成長しない。

 子供が育つ環境には、大きく分けると、家庭、学校、地域の3つがある。しかし、地域はもはや共育環境としての意味を失っている、地域社会が継続している一部の下町を除いて(新興住宅地でも、熱心なリーダーがいるところは別であるが)、高度経済成長期以降に造成された新興地域では、表面的な交流はあっても、「心底」からの交流をベースとする地域社会は形成されていない。
 酔眼の子供の頃は、隣のおじちゃん、おばちゃん、皆が子供の保護者であった。

 子供が小学校にあがるまで、一番大切なのは家庭である、両親、祖父母、兄弟姉妹、家庭共育の最大の課題は「人間としてのしつけ」である、保育所・幼稚園は「集団生活・共同生活」を学ぶ場であり、あくまでも補助的環境だと思っている。

 自我が確立していく時代である小学校から中学校まで、学校(教師・同級生)、家庭、および、その相互作用が大切であり、「共育」には、教師と親のコミュニケーションが、不可欠である。残念ながら、十分とはいえないように思う。とくに、子供が学校に行きだすと、教育(共育の思想がないので)の場は学校だと決め付けて、家庭を補助的環境としてしまい、家庭が「共育」の場であることを放棄している場合も多い。
 「勉強しなさい、宿題しなさい」の言葉に端的に現れている、この言葉を聞くたびに。親が「共育」の役割を放棄しているように思えてならない。
 学校だけが「共育の場」ではない、今一度「家庭」「親」というものを考える日にしたい、今日は「母の日」、もう一度、「母とは、親とは」を考えなおす機会をになればと思う。

(徒然2 「挨拶」)
酔眼は外出する時、母に挨拶をする。いつも、玄関まで見送りに来て言う、「雨が降りそうだけど、傘持った」「車、気をつけなさいよ」「・・・」。
 息子(酔眼)、定年間近の年齢、子供の歳が幾つになっても、子供は子供なんだろうと思う。
 母の行動、わずらわしく思う時のほうが多いが、元気で、声をかけてくれることに感謝しなくてはいけないのだと思う。
 帰宅時も、最初に母の部屋をのぞいて、帰宅を告げる、80歳を目前にした母は安心して眠れるようである。
 最低、外出時、帰宅時、朝、食事前、就寝前、きっちりとした挨拶を親子ですることが大事だと思う。簡単なことのようであるが、これがなかなか難しい。 
 子供に、親は自分のことを常に気にかけ、見てくれていることを自覚させること、これが子育ての出発点だと思う。
   


   

夏期休暇中のある日の日記(8月12日)


 起床6時、就寝9時、晴れ。朝方は過ごしやすい温度になりつつある。
寝すぎかもしれない、「夏バテ防止には、睡眠確保が一番である」と勝手な理屈をつけている。夏期休暇、精神的緊張感が欠如しているのは明らかである。
 朝食はトースト2枚、夏みかんジュースとマグカップでコーヒー、桃半分。
午前中、思考が停止、手作業でできることをと、ゼミ10周年の会の出席者用名札を作成。その後は、ネットで、ミニ講義に使えそうな資料を検索。経済だけでなく、日本のあらゆるサブシステムの「再生計画」の必要を痛感し、「教育」こそ、その革新の原点であると思う。

 先日、萩を旅した、歴史のある城下町には大体美味しい伝統的な和菓子があるはずだと探したが、見つからなかった。歌舞音曲にうつつを抜かすことなく、子弟の教育を第一義にしていた地域であったようである。水戸の弘道館、鹿児島の造士館と並ぶ三大学府と称された上級武士の子弟の境域の場としての「明倫館」、下級武士や農民の子弟を教育した「松下村塾」、萩や鹿児島など教育に力を注いだ地域から、旧体制に問題意識をもち、改革に情熱を持ち、自らの命を賭しながら、前進する多くの若者を輩出し、日本の近代化の礎が作られたのである。
 萩出身の維新を進めた人物像は、http://www.joho-yamaguchi.or.jp/hagi-cci/shishi.html#anchor9910にあります。
松下村塾の教育方針
『松陰の教育は幽囚の「松下村塾」に象徴されています。それは人格の修行を柱とし、社会に有用な人材の育成を眼目とするもので、塾生の個性を尊重し、常に当時の世界の形勢、日本の実情にたって、内憂外患の危機状況にいかに対処して行動するべきかという強い問題意識に支えられていました。塾には厳正な規則を定めず、生徒を率いるというよりも相互に親しみ助け合い、尊敬信頼し、互いに魂のとびらを開いて交わらせるという人間教育でした。魂と魂が通じ合う、士分の者も足軽の子も平民の子も差別のない教育を行ないい、学問をただ学問として学んだり、あるいは仕官の道として学ぶのではなく、時代につながり、生きた学問を実践したのでした。』
この中に、まさに、教育の原点と基本的方法論が明確に示されています

教育の重要性の逸話をもう1つ。 「米百表」
山田直弘氏(http://www.biwa.ne.jp/~yumichan/index.htm)から引用しました。
山本有三氏の戯曲「米百表」のあらすじ
『舞台は戊辰戦争で敗れた越後長岡藩。藩士伊東喜平太の家。妻子が内職をしている。折から雨が降り、屋根から雨漏りがして、夫婦してたらいを持って走り回っている。そんなところへ友人の藩士伊賀善内、森専八郎がときをおいてやってきます。
話題は身辺のやるせない貧しさからいつしか支藩三根山藩から見舞いとして届いた米百俵へと移っていきます。敗戦から1年余り、焦土となった長岡の町は貧しさの底にあります。藩士たちは日に一度か二度のうす粥でなんとか生存を許されている状態です。
そんなところに届いた百俵です。藩士たちはいつ米の分配があるのか、それだけを楽しみに待っていました。ところが、その米は藩士に配られるわけではなく、それを売った金で学校を建てることに決まりました。昔の家老にあたる「大参事」の小林虎三郎の発案だというのです。それを聞いた3人は刀を手に小林大参事の家に押しかけます。返答次第では小林を切る覚悟です。
押しかけられた小林の家もあばら家に毛の生えたようなものでした。小林は高齢でしかも病気がちで「病翁」と号した人です。しかし、学識と胆力の備わった人物で血気にはやる喜平太たちを前に声涙ともに下る演説をします。
「米百俵というが一人当たりにすれば四合か五合しか残らないではないか。それっぱかりの米では一日か二日でくいつぶしてしまう。あとに何が残るのだ」小林の説くところはやがてみんなの肺腑に届くのです。興奮していた喜平太たちは頭を垂れて静聴します。誰かの嗚咽が響いてきます。まさに寂として声なし。
「食わなければ、人間、生きてはいけない。けれども、自分の食うことばかりを考えるな。そんなことでは、長岡の町はいつになっても復興しない。お身たちが、本当に食えるようにはならないのだ。だから、わたしは、この百俵の米をもとにして、学校を建てるのだ。これで人物を養成するのだ。子供をしたてあげるのだ。まどろっこしいようではあるが、これが一番、確かな道だ。これが戦後の長岡を建て直す唯一の道だ。そりゃ、みんなつらいだろう。苦しいだろう。しかし、辛抱してくれ。その日ぐらしでは長岡は立ち上がれない。われわれがこの苦しみを引き受けなかったならば、次の時代の人たちはまた同じ苦しみを受けなければならないこんな苦しみは、われわれ一代だけで十分ではないか」

百俵の代金は「国漢学校」に注ぎ込まれます。これが旧制長岡中学(現長岡高校)です。同校から、各界に人材が輩出したのは以後の歴史が示すところです。』

このような先達の気概こそ、今こそ引き継がなければならない。
言葉で遊ぶのではなく、誰かさんには、実行を求めたいと思います。

「病翁」に近づきつつある酔眼、素麺の昼食後、2時間ほど転寝しながら、教師という仕事を選んだ自らの決意を反省していたら、目が覚めた。

 『大学で学ぶ機会を得ている皆さんにも、是非、学ぶことの大切さを、もう一度考えてほしいと思います。』

   


   

教師はいい商売か?


日経マスターズという高齢者用の雑誌が新に出版されるが、その予告版に「大学教授はいい商売か」の記事があり、メリットとデメリット(日経マスターズより転載)が書かれてあったので、自分自身の感想を含めてコメントしてみよう。
大学教授のメリットとデメリット

○メリット
1. 70歳くらいまで働ける
確かに定年年齢は遅い、小生が定年になるころは65歳だろうか。しかし、純粋に教員を目指すと、職につけるのは30歳前後、他のひとより、7・8年遅いので、実労年限は同じぐらいではなかろうか。最近増加傾向にあるビジネス界から転職された先生は、実労年限が長くなることは確かである。

2. 職場での人間関係が対等である
組織としては、対等な方だとは思うが、助手、講師、助教授、教授、勤続年数、立場によって、対等でないかもしれないこともある。

3. 時間や仕事の自由度が高い
仕事の自由度は確かに高い、好き勝手な「テーマ」(社会に必要な事柄かどうかは別ではあるが)を設定して、自由に研究することが出来る。文系の場合は特にそうだと思う、理系の場合は、教授の研究を手伝うことも多いと思う。
時間に関しては、自由なようだが、役職に就けば就くほど、各種会議や雑用で自由時間はなくなる、そこで、極力、委員や役職に就くのを避ける傾向あり、雑用は特定の断ることの出来ない気の弱い教員に集中する、小生などその典型かもしれない。

4. 言いたいことが言え、書きたいことが書ける
自分の研究に関してはそのとおりだと思うが、人間関係や組織運営に関してはそうでもない。中には、いいたい放題で、責任を持って行動しない教師もいる。

5. 付き合いにカネがかからない
あんまり付き合いはないから、お金はかからないと思う、せいぜい居酒屋程度。ただ、卒業生の結婚ラッシュが続くと、懐は寒くなる。

6. 肩書きがつくと、副業も多く舞い込む
ある特定の一部の先生のみ。大半の先生の副職は、他大学で「非常勤講師」をすることによる収入。行政の審議会・委員会などの報酬は安い。

7. 若い学生と接すると、気分も若くなる
これが一番のメリットだと思う。こちらは齢を経ても、相手はいつも18・19歳から22・3歳。新鮮な息吹に接すことによって、知的刺激を受けることができるし、流行語も覚えることが出来る。そこ故、定年後、刺激がなくなって、早く亡くなる先生が多い。

○デメリット
1. 給料が安い(特に非常勤講師)
経済環境が悪くなっても、影響を受けることが少なかった(今後は?)ので、長い目で見れば平均的収入ではないかと思う。ただし、常勤になるまでは、時間の切り売りで収入を得ることになるので、辛い時期である。

2. 研究費や出張旅費が少ない
研究費や出張旅費はすくないので、研究をしない、出張をしない、要は、研究活動を中止すれば痛くも痒くもない。

3. 能力がないと学生に馬鹿にされる
馬鹿にされることを恐れては教師になれないし、馬鹿にする前に自分のことを学生に自省させよう。小生は馬鹿にされ続けて、28年。我慢すれば、収入は確保できる。

4. 教え甲斐のある学生が少ない
教えようと思うこと自体が、傲慢なのである。馬鹿にされる教師のもとに、優秀な学生が集まるわけはない、どつちもどつちなのだ。
少ないが、意欲の在る学生はいる。彼らだけを対象に講義をし、努力すること。卒業証書目的の学生は無視である。

5. 少子化で潰れる大学が出る
最近の一番の課題であろう。経営努力のない、学生の視点に立たない大学は、順次、廃校になることは確実。ぬるま湯体質の教師が多い学校は危ない。文部科学省、自由競争を前提とするとは言え、大学の認可しすぎである。

6. 学生募集、試験監督など雑用が多い
「教師と乞食は3日やったら辞められない」親父の言葉、気楽な稼業のようだが、雑用(組織運営、会議、委員会などなど)は実に多いので、時間も自由にならないこともある。
 中には、一切の雑務を、研究時間がとられると拒否する教師もいる、本当に研究活動に没頭しているのだろうかは疑問。
学生募集、専門馬鹿の教師を学校回りさせるのは、かえってマイナス、悪印象を与えてくるだけでで、逆効果。

7. 教員の人間関係は難しい面もある
自分の考え次第。楽しくしようとする姿勢があれば大丈夫。中には.挨拶1つしない変人教師もいるにはいるが、気にしなければそれまでである。
   


   

W杯開催に思う(6月2日)


W杯を楽しむと同時に、日本を考えることも大切である。
 ムーディスのランクは、発展途上国に近づいてきた。政府が否定しても、世界の日本評価は客観的で冷静なのだ。
「警告」を発しておこう
 W杯開幕、マスコミあげてこの話題、これから1月続くそうであるが、このような時期が一番危ない、馬鹿な(失礼)国民が浮かれている間に、政治の世界では、重要な法案が国会を通過する可能性が高い、過去にも何回か、国民の目をそらしている間に、国民の立場から見ると、望ましくない法律が成立したことがある、とくに、今の政府の右傾化の行動に対しては、注意を払う必要があるのではないかと考えている。言論統制、個人情報の管理、警察の武装強化など。

 どうか、皆さん、W杯の記事を見る前に、新聞の二・三面をチェック(読んでください)してください。 一面は、W杯の目くらましの記事がある掲載される可能性が高いです。

 
 戯れ詩一種

   「花が咲くとて
    鳥が鳴くとて
    春が来たとて
    浮かれてみたら
    うらの畑は
    草ぼうぼう」
 

 浮かれすぎを心配する馬鹿な教師です。

 決して、W杯開催そのものを否定しているのではありませんので、念のため。
   


   

出処進退を考える(5月9日)


 今、話題の1つは、「ユニクロ」の社長交代劇。53歳の実質的創業者である社長が、39歳の常務に社長職を禅譲する話である。
「創業守成」という言葉が浮かんだ。事業を始めることと、いったん出来上がった事業を保ち守ることでは、どちらが難しいかという、唐の太宗が発した侍臣への質問である。
 創業者は、時流を捉え、時流にあったビジネス・モデルを構築し、快進撃を続ける、しかし、時の経過とともに、環境は変化し、競争者は同じようなビジネス・モデルを採用し、追撃してくる。また、消費者の嗜好も行動も変化する。その意味では、「守成」はなかなか難しい問題である。
 ユニクロでは、優秀な人材をスカウトしながら、経営が壁にぶつかると業務のやり方や組織を改革しながら、カジュアルアパレルの分野で業績を伸ばしてきた。スカウトされた人たちは、それぞれの部署で、能力を発揮し、役割を果たしてはいたが、企業の基本的戦略は、あくまでも創業者の手に委ねられていたように思える。
 創業者は独特の個性を背景としたカリスマ性を持ち、強力なリーダーシップで組織を拡大し、引っ張ることが出来る、そして、世間はその成果・業績を賞賛し、創業者はますます自らの経営に自信を深める。しかし、ここに落とし穴がある。そのカリスマ性ゆえに、進言・助言・忠告する者がいなくなり、ワンマン病に陥いり、企業業績は低迷を始める。
 そこで、取られる戦略が、多様化戦略である。ユニクロの場合でも、電気自動車の販売、農産物の通信販売、食品スーパーの買収の検討がなされている。
 それらに、創業時のビジネス・モデルは通用しない。新たなビジネス・モデルの創造が求められる。それを創造するが、新リーダーの新しい智慧である。
 その意味では、リーダーの交代は時期を得ているのかもしれない、「新しい酒は新しい皮袋」で作るのがいいと思われる。
しかし、実質的オーナーである創業者はCEO(最高経営責任者)会長として残る限り、新リーダーが自らの意思と能力を完全に発揮することが出来る環境を整えることが出来るかどうかは、創業者の意思1つにかかっていると言えよう。
 「CEO会長は基本な方針を決め、現実の経営は社長以下のチームでやってもらいたい」と述べているが、基本方針の決定こそがリーダーの最大の役割であり、それに従って経営戦略が構築されるのであるから、基本方針と経営戦略は一体のものである、二頭政治の危険性がある、ここに疑問が残る。
 また、創業者の夢は「60歳を過ぎたら、株主になって経営者をチェックしていけるのは、最高の生き方じゃないですか」と述べておられるが、経営者が失敗したとき、経営者の首をすげ替えるだけではすまないだろう、自らが投資をした事業を自らが経営することを意味しているのだろうか。これも疑問である。
 その意味で、今回の場合、話題をよんではいるが、創業者の姿勢としては、本当の意味での「出処進退」を決めたとは言いがたいのではないだろうか。

 多くの経営者が、「出処進退」の時を誤り、晩節を汚してきたことか、人間の欲は人間を誤らせる源泉なのだろう。
引き際だけは誤らないような人生を送りたいと願う次第である、そのためには、脱欲しなければ、でも、食欲が・・・まず問題だ。
以上は、増田の戯言であります。もっと、深慮遠謀があってのことだと想像しています。

 ただ、「ほとんどの企業(組織)はいろいろなしがらみとか、過去の延長とかで、本当に正しいと知りながらやらないことがある」、この言葉は、組織に生きる人間として、傾聴しておきたい。
   


   

大型連休考(4月28日)


 連休の始まりに、戯言を記しておこう。
 ただし、「学者とは研究によって時間をつぶす怠け者」(バーナード・ショー)の戯言である、ご容赦願いたい。

 政策は、いかにして国民の労働時間を短くしようかと20年来努力してきた。
 お陰で、大型連休が生まれた、政府に感謝である。

 しかし、世は、不況でデフレの風が吹き荒れていると、毎日マスメディアは報道している、短期的には失業率5.2%の問題・不良債権問題・デフレ対策・個人情報開示の問題・表現の自由の規制問題、中期的には構造改革の問題・少子高齢化問題・右傾化問題(安全と防衛)・経済の再生など切実な課題が山積し、国家としての活力がまさに失われようとしている。
 だが、国をリードすべき政界においては、個人的な暴露合戦が行われ(アメリカの法律家インガーソルの言葉「政治の浄化は七色の夢である」)、マスメディアもそのことを報道の中心に据え、国家の危機的状況、政治の課題を真剣に報道しない、報道してもマスメディアに都合のいい、偏った報道ばかりであり、公平で客観的な見方は示されていない(レーニンの言葉、「新聞(今流に言えばマスメディア)は一種の政治地図である」)。その結果、多くの人々が先行きの不透明感に漠然たる心理的不安を抱えていると言われるが、その現実の姿は。

 その国民の行動はどうかといえば、この連休に国内旅行をする人が2236万4千人(一人当たり費用4万1767円)、海外旅行をする人が56万9千人(一人当たり費用23万9072円)だそうである(日本経済新聞調べ)。概算すると、5人に1人は旅行することになる、近場の繁華街やレジャーランドに出かける人を加えると多くの人が、余暇を楽しむことになる。どこが不景気なのか、いい国ではないか、世界中を探してもこんなに恵まれた状態の国はない、不平・不満を言うことはないのである、満足すべし。
 これからどのような国家的な困難や危機が惹起されようと、文句をいう資格は国民にはない、旅行には行くけど、選挙には行かないのだから、国民の権利を放棄してきた結果のしっぺ返しは、甘んじて受けなければならない。責任を他に転嫁することは許されない、すべて自己責任。

 福沢諭吉翁の言葉に「社会共存の道は、人々自ら権利を守り幸福を求めると同時に、他人の権利・幸福を尊重し、いやしくもこれを侵すことなく、もって自他の独立自尊を傷つけざるにあり」とある。

戦前、「月月火水木金金」、20年程前には「ウサギ小屋に住む働き中毒者」とEC委員会事務局が作成した対日戦略基本報告書に表現された日本人の姿はもはやないのである。その言葉にある種の誤解が混じっていることを感じながらも、日本人は勤勉に努力しているのだと、酔眼は一種の誇らしさを感じた。その状態が最良とは決して言わないが、「生活を豊かにする」ために真剣に働き、生きていこうとする姿勢があったように思う。そこには、家族に、会社に、地域に対する「思い」「思いやり」があった、少なくとも家族に対しては。
別の言葉でいえば、「夢」があったように思う。

個人的な「豊かさ」(決して社会全体のではない)が実現した時、「精神的堕落」が始まった。自分だけが満足する状況を維持できれば良い、家族のことも、会社のことも、地域のことも、国のこともどうでもよい、自分だけ、すべて自分だけ。恐ろしい国になりつつあると思うのは年寄りの愚考だろうかな。

いつも、肝に銘じている言葉に
 「あり余る豊饒の中に人々は餓死する」(カーライル)

現実となる日が近づいていると思う酔眼である、杞憂であればと願う次第である。

最後に自戒をこめて
「花が咲くとて 鳥が鳴くとて 春が来たとて 浮かれてみたら うらの畑は 草ぼうぼう」

戯言終わります。


   


   

出処進退を考える(4月5日)


12時就寝、5時45分起床。「腰の痛み君」は、なかなか元気である。
 目覚めた時、ふと頭に浮かんだのは「出処進退」という言葉である。政治の世界で、「出処進退」が問われていることが、潜在的に脳裏にあったのだろう。
 人間にとって一番難しいことは、「辞する」ということではなかろうか。政治の世界だけでなく、経営の世界でも、研究者の世界でも、あらゆる分野で、多くの先達たちが、「辞する時を誤って、晩節を汚してきた」。
 馬鹿な政治家の行動を「他山の石」とし、昔であれば定年年齢に達した酔眼、ぼちぼちと、「辞する時・辞し方」を考え、自らの処し方を考え始める時だろう。
いくつかの漢語が思い浮かぶ、洒落で渦中の政治家に贈ろう。
(以下につけた先生という言葉には、揶揄の意味を含んでいます)

まずは、辻元清美先生へ
『非所困而困焉 名必恥 非所據而據焉 身必危』(拠るべき所に非ずして拠るときは、身必ず危うし)
身を寄せてはいけないところに身を寄せると、必ず身に危険が及ぶ。出処進退は、よくよく意を用いなければならない、(NGOしてればよかったね)

土井たか子先生と田中真紀子先生へ
『觀我生進退』(我が生を観て進退す)
自分の生活、すなわち自分がいかなる地位にあるか、いかなる時、いかなる場所にいるかということを観察して、それに順応するように身を処する、(えらい先生方よくお考えを)

加藤紘一先生へ
『翰音登于天 何可長也』(翰音、天に登る、何ぞ長かるべけんや)
鶏が、がらにもなく天に登る。たとえそんなことがあっても、長くとどまるはずがない。実力のないものが高い地位にいると、その名誉とか実のない虚名は、かえって災いの源をなし、長つづきはしない、(それだけの実力だったんですよ、一昨年秋、失望させた時に終っていたんですよ)

鈴木宗男先生へ
『持兩端以觀望』(両端を持して以て観望す)
決心がつかず、ふた股を考えて形勢を観望すること、(がないようにね)

全部の先生方へ
『巻舒不随乎時』(巻舒は時に随わず)
出処進退は自分の主義によって行動するもので、別に時勢の如何によって変化するものではない、(という言葉もありますがね)

大切なのは
『趨舎有時』(趨舎時あり)
人の進退にはおのの時期があるものだ、ですよ。


『自省します』
   


   

流通経済雑感(3月21日)


 経済に対する漠然と不安感が広がってくる。何も出来ないことで不安が増幅している。
 先月末、「某スーパー」の新再建策が発表され、金融機関は1月に決定した4200億円にさらに1000億の追加投入を決定した。金融庁(や財務省)の強制的な指示によるものであろう。瀕死の重病人である金融機関から、輸血用の血を抜くようなものである。金融機関が債務超過になれば、間違いなく日本沈没、ひいては世界恐慌になる危険性がある。政府は公的資金注入(前回の反省もなく)で乗り切るつもりのようであるが、問題の先送りの感がいがめない。
 「某スーパー」は今までの経営の拡大路線(事業の多角化)のつけが回ってきたのであり、一私企業であることを忘れてはならない。そこに、政策的介入は必要ない。確かに、販売額では日本のリーディング・カンパニーであるから、もし倒産ということになれば、その影響は甚大なものになることは想像に難くない。それこそが首相の言う「痛みを伴う構造改革」ではないだろうか。資本主義経済である限り、経営に失敗した企業が市場から淘汰されるのが自然の理である。問われるのは、経営責任である。
 米国では、第二位の販売額を誇っていたKマートが更正法を申請したし、「そごう」と「マイカル」は倒産したのである。これが資本主義経済の本質である。厳しいようであるが、資本主義経済は、弱肉強食の世界である。
 その意味で、特定の企業のみが優遇されることは不思議な現象である。
 「某スーパー」に様々な形で資本注入をしても、企業業績が向上しなければ、圧縮した有利子負債を減ずることは出来ず、再び、同じことを繰り返さなくてはならない。
 今回の処理には、重要な仮説(前提条件)がある。それは、「某スーパー」の業績が回復するということである。
 しかし、有利子負債を圧縮しても、営業成績が向上する保証は全くないのである、例えば、再建策の一環として展開を始めたカジュアル衣料の「○○○」は、その分野のリーディング・カンパニーである「ユニクロ」から店舗の類似性について訴えられたが、その収益力は「ユニクロ」ほど高くないし、採算に乗っていない店舗もある。激しい販売競争の中、納入業者の協力体制にも不安があるし、一番の問題点は「某スーパー」が勝ち残るというクレジットを消費者は与えていないことである。
 この点を忘れて、金融機関や政府は資本注入することの危険性を考えるべきであるし、本気で「経済の構造改革」を進めるのであれば、資本主義の原理に委ねるべきであろう。
 金融機関は不良再建を増やす蛮行に踏み切ったのかもしれないし、それを支持した政府の責任は重大である。
 ただ全てを否定しているのではない。このような決定が行われた限り、日本の高度経済成長を支えた企業である誇りを元に、これから2〜3年、○○社長を中心とする革命的マーケティング戦略を展開し、消費者のクレジットを再び獲得し、不死鳥の如く再生することを心から願っているし、エールを送りたいと思う。
 この4月から、ゼミの新卒者の1人がお世話になる企業である、ゼミ生が活躍できる場であり、企業であって欲しいと思う。

 などと考えていたら、ウォールマートが西友と提携するという。
 流通業界、まさにメガ・コンペティションに突入である。
   


   

教師になって(2月7日)


 名古屋の大学に奉職したのは49年だった。一年間、非常勤講師をした。年齢が若すぎるので、専任には出来ないとのこと。恩師、約束が違うと怒られたが、なにせ「教師のひょっこ」。教壇に立った経験もない。それでも週に4コマ担当。○○先生と学部長に呼ばれても、先生などと呼ばれた経験がなかったので、自分のことではないと思って通り過ぎたこともある。
 名古屋在住の伯父の家に、週に1回お世話になることにした。伯父夫婦には子供がいなかったので、毎週歓待していただき、伯父と一杯やるのが楽しみな名古屋通勤であった。結果として、13年間もお世話になるとは思わなかった。
 残念ながら、叔母は7年前に他界した。葬儀の日、酔眼、入学試験で金沢にいため、参列できなかったのが、今でも心残りの1つである。本当に、叔母にはお世話になった。
 2年目から、専任講師、「新幹線講師」と冷やかされる。2泊3日の名古屋通勤。1泊は伯父の家、1泊は私学共済会館の「愛知会館」。
 高等学校の教員養成の科目を中心に教えるが、勉強したことのない教育関係の科目、教える前にノートを適当に作って講義。今思えば、冷や汗もの。成績評価の統計を教えていたときに、酔眼分らなくなり、7時過ぎまで学生と悪戦苦闘。お詫びに、40人ほどにラーメンおごったのも思い出。
 当時28歳、相手の学生21・2歳、兄貴のような気持ちだった。聴講生もいて、彼らは現役の中学校や小学校の教員、酔眼よりも年上の方も多くいた。どきどきしながら、授業をした思い出。現在、愛知県や岐阜県で、教師をしている教え子が80人ほどいる、みんな、教員らしくなっている。
 52年に結婚。週の半分は奥方と別居生活をしていた、酔眼の両親と同居してくれた奥方には今でも感謝している。53年、助教授。学内の会議に出たら、他の学部の先生方、助教授であることを信用しない、「若すぎる」(当時、童顔の酔眼)、事務長、必死に証明してくれる。やさしい事務長さんだった。
 53年長男誕生、54年次男誕生、58年長女誕生。名古屋が通い続く。
その間、高山の短大の講師などもする、名古屋から2時間半、夜中に着いて、女子寮に泊めていただき、翌日の午前中講義をし、12時台の特急に飛び乗ったのも思い出。高山に行くことになったのは、同僚の△△先生のお弟子さんが就職したが、某科目の担当者がいない、このままでは、その学科の認可が下りないので、彼の就職もダメになるとのこと。△△先生の願いを受けて、2年間だけ通った。大学の場合、新学科や新学部を作るとき、文部省が教員資格をチェックする、科目担当者として名前を貸すと、最初の学生が卒業するまでは教えないといけない規則になっている。それで、2年間通った。4年制大学だと4年間は教えないといけない。
 59年、父親が大病。気弱くなった父、「大阪の大学に変われないか」。酔眼「じゃ、手を上げてみるか」。それまでに、名古屋の他の大学から移籍の話は幾つかいただいたが、恩師「移籍すると4-5年はお世話にならなくてはいけないですよね、いずれ大阪に帰るのだから、・・・」ということで、最初の大学に在籍したまま。
 幸いに、「手を上げた瞬間に」卒業した大学の先輩に声をかけていただき、60年に近畿大学に奉職。先輩とは、大学院生のときに、某製薬メーカーのマーケティング戦略の構築にご一緒して以来、お世話になっている。
 前の大学より、近畿大学での勤めのほうが長くなった。
 大学の移籍は、採用する大学が、勤めている大学に「割愛願い」を出し、了承されると、移籍となる。「割愛願い」が受理されると、教師としても職業が継続した形になるが、「割愛願い」が認められないと「退職」ということになる。
 酔眼の場合は、父親の病気が理由のため、スムースに進んだが、時にはもめることもある。
 当時、新しい学部創設の計画があり、活動をしていたので、先生方からは残念がられた。酔眼退職後、新学部創設に中心的に関わっていた先生方、ほとんど他大学に移籍された。申し訳ない思い出である。